8月27日、無題
大阪駅のホーム、7号車を待つ列がわたしの季語。
その隙間から見える狭い空がわたしが詩と触れ合う場所。
それは、つまるところ、世界に等しい。
強い言葉を恐れずに使うのはこわい。
今日は、特にこわい。
けれど起こったことを記したい。
今日、胸のマリアが息をし始めた。
自分で不幸せになろうとしなくていいよと、ここがあなたが見ようとしてきた(或いは見てきた)水平線だと、すべてが在るように在るのだと、ゆるしをくださった。教えてくださった。
わたしは生きている。なにも断絶していない。あの人がやめた世界を、わたしは諦めなくてよい。
わたしは持っていくのだと、それだけの力があると言われ、動揺して深呼吸をしたらそれが確信になった。
わたしたちの王国の物語を。生き続けるためだけに必要な、ほかの誰にも必要じゃない内緒話を。わたしが運ぶのだと。
もう過去や今や未来を殺さなくていいのだと言われた。
何かが終わったような気がして、人目もはばからずにわんわんと泣いたけれど。
終わりでも、始まりでも、続きでもない。そんな感じの初めての感覚だった。
うずくまる時間は必要だった。
敵意に満ちた目も必要だった。
僻みも妬みも悲しみも苦しみも痛みも怒りも孤独だって。
抜け出せないことも。
間違うことも。
叶えられないことも。
抗うことも。
分からないことも。
泣くことも。
変われないことも。
こんなことを何度だって繰り返すことも。
生きているから。
狂い咲く花に問う。
吹く風に泣いてしまう。
積雪に沈黙する。
とても自然なこと。
痛いくらいにわかること。
痛ければ痛いほどわかること。
影がよく見えるのは、わたしが光だからだ。
光がまぶしいのは、わたしが影になることもあるから。
どこにも行けなくても、いい。
わたしはここにいる。
わたしはどこにでもいる。
陽だまりはいつもどこかにある。
いつも手を繋いでいたね。
だから、わたし、ここにいる限り、あなたの瞬きする間を、永遠と呼んで、あなたまで照らせますように。
いつも、いつまでも、そばに居られますように。
祈り。祈り。祈り。
いのりというオノマトペ。
音で届くこと。光が知らせてくれること。
ゆっくりと呼吸をするマリアを、ゆるされたことを、教えられたことを、受け取ったことを、この胸を、わたし自身を、祈りと呼ぼう。
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