5月25日、little life
なんだかひとりぼっちだな、と思って
おじいちゃんが(正確には妹のために)作ってくれた本棚から
ふと思い立ってキッチンを取り出して、読んだ。
身寄りのいなくなった主人公
その最後の身寄りだったおばあちゃんの通っていた花屋のバイトの青年
実は父であるところの青年の母親
3人の暮らし
キッチン
読みながら、死んだ恋人を思い出さずにはいられなかった。
わたしにとって恋人はたった一人の身寄りだった。
彼が生きていた時からそう思っていたな。
恋人はわたしの恋人で友達で家族で仲間で同志だった。
だからわたしはもうずっと、ひとりぼっちだなと思っている。
いつも、いつも、笑ってごまかしているすぐ後ろに
みんながいるから生きているという自分の後ろに
いろんな人に愛されてきたはずなのにひとりぼっちな自分がいる。
ああ。
死んだ恋人、と書くと恋人が死ぬ感覚が
腕を切るより、ピアスを開けるより、火傷するより、痛い。
わたしはもう何度、恋人を殺してきたかな。
思い出せることもとても少なくなったな。
それでも季節の変わり目や只中に生きていると
何かしらが季語となってその人を現わさせるな。
だからかな。
何かを残すことでようやく生きていられるのに
何かを残すことで何かを失っているような気持ちになるのは。
こんな時に隣の寝室で誰か寝息を立てていたり
お風呂に入っているその湯気の温かい匂いがしたり
洗濯物を取り込む雑な音が聞こえてきたりしたら
わたしは今、わんわん泣いてしまうだろうな。
そう思いながら仲のよい人に
「こんな時に君が隣でゲームでもしててくれたらいいんだけど」って送った。
風邪ひきかけててしんどいから横になってる、君にうつさないようにしないとって
冗談が聞けて毛布をかけてもらったような気持ちがする。
移るわけないからね、風邪。(物理的に)
「こんな時に誰かがいたらなあ」という
その誰かが浮かぶことが今は嬉しい。
生きていたからここまでこれたね、と自分を撫でてあげたい。
代替不可能のちょうどよいあなたのことをわたしはこれからキッチンだと思おう。
どこまでも勝手に。どこまでも自分のために。
「夢のキッチン。
私はいくつもいくつもそれをもつだろう。
心の中で、おるいは実際に。あるいは旅先で。
ひとりで、大勢で、二人きりで、私の生きるすべての場所で、きっとたくさんもつだろう。」
思い返せばわたしにもいくつもある、キッチン。
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