4月3日、jubilee

写真と文章との関わり方が変わってきたと感じ、「どうか自由に歩いて、愛して」とblogを括ってからもうすぐ1年が経とうとしています。

初夏に年間目標として、23歳の時に作った暮らしのピラミッドや、訪問看護師さんと作った暮らしと体調の表を更新したいと思い、WRAPという認知行動療法を看護師さんと一緒にやり始めました。

去年の9月からは縁あって詩の合評会に参加させてもらっています。
テキストや写真に直接、感想をもらったり、評をもらったりしながら、その時間は楽しかったり悔しかったりしながら今も過ごさせてもらっています。

年が明けて3月には友達の個展の搬入や搬出を通して新しい出会いがあったり、撮影の依頼があったり、会いたいと思っていた人と出かけて、その折に自分のことを話したり話を聞いたりする機会もありました。

自分のことを掘り下げていくことを自分だけではなく、誰かと一緒にやってきた、そんな1年だったなあと振り返ります。

人との繋がりは植物が根を張るように目を張り始めました。自分自身の土台がしっかりしてきたなあと感じ始めていた時に「とうに終わってしまったけれど、今まで手放せなかった感情を形に残そう。今なら向き合える」と思いました。
信じることを教えてくれた人たち、一緒に歩いてくれている人たちには心からの感謝を。

随分前に壊れてしまったスキャナーを買い直して、時間のある時にネガのスキャンをして過ごしています。
感情面で揺れることはあっても、足元が揺らぐことはない。
今のわたしを支えているのはこれを経たわたしなのだと思うと、思い出せることも、思い出せないことも、すべて愛おしい。
わたしのそばには今生きているあなたも、とうに過ぎてしまったあなたもそばにいる。
歓びながら”それ”をやること。
0か100か、極端な感情で生きていないわたしたちは、グラデーションを生きている。
そして、ふと聴いていたくるりのジュビリーという曲の中にはこんな歌詞がありました。

「歓びとは誰かが去るかなしみを胸に抱きながらあふれた一粒の雫なんだろう」

歓びが内包しているものをひとつずつ確かめながら、この散歩を続けていくつもりです。

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