11月1日、鮮烈に

この橋でロルカは警告した
‘人生は夢ではない気をつけろ気をつけろ気をつけろ’
人々は‘次’に起こることが大事で‘今’はそうではないと思いがちだ
でも刺激的な出来事は今起きている
このめくるめく豊かさの中では無能者でさえ楽しめる
誰もがさながらドストエフスキー作品の道化と見まがうばかり
我々のいるこの世界は‘疎外’がいかに刺激的か示す絶好の場だ
人生は時をかけて織りなされる奇跡
互いに酔いしれた瞬間の積み重ね
この世は試練だ
視力は本質を見通せるか試すもの
経験の中に飛び込めるか試される
事象は好奇心を試すもの
疑いは生命力の強さを試すもの
トマス・マンは‘百編の物語を書くより人生に参加したい’と
ジャコメッティは車にひかれたことがある
意識のあるまま気を失い興奮したという
‘ついに自分に何かが起きたぞ’と
人は人生を理解しないまま生きるという
全面的に賛成ではないが否定もしない
でも生き終えた人生は理解された人生だ
パラドックスにはイラつくが矛盾に満ちた考え方を愛することはできる
ロマンチックな夜には‘混乱’を相手にサルサを踊る
眠りに落ちる前に忘れないで覚えていて欲しい
記憶は忘却より強烈な行為なのだから

ロルカは同じ詩の中で‘イグアナは夢を見ない者にかみつく’と
そしてやっと人は気付く
自分が他人の夢の中の人物だということに
それが自己認識なんだ

‘自己とは何か’ということを考えたの
人間というものは、単なる‘論理的構造’に過ぎない
抽象概念を一時的にしまっておく場所
そして自覚する時が訪れ、神秘に形と調和を与えるの
私にとって人生は贈り物だった
怒涛のように過ぎあらゆる時間が魔法のよう
矛盾する衝動を抱えながらすべての人々を愛したわ
人とつながることが幸せだった
そのことが一番大事だった

映画「waking life」より引用。


何度目かの精神科での入院中だった。
ある日、ストレッチャーに乗せられて入院してきた男の子がいた。
彼が自分で起きて病室から出られるようになり、部屋を出てホールの隅っこでご飯を食べられるようになるまで2週間近くかかっていたと記憶している。
わたしの入院していた病院には、みんなが集まることのできる広場のような場所にしかテレビは設置されていない。
お昼のワイドショーが流れている。誰かが、チャンネルをすぐに変えてしまう。
うすく汚れた、とても清潔とは言い難い白い閉鎖病棟内の、これまた薄汚れたくたくたになった椅子で彼は眠っていた。
もうすぐ昼食の時間だから、と看護師さんに言われて彼を起こしにいった時に、初めて彼の寝顔を見た。

彼が入院してくるまではその病棟内で最年少はわたしだったのだが、彼はわたしより2,3歳、年が下らしかった。
最初に声をかけたのはわたしだった。
そして、私たちは次第に仲良くなっていった。
おはようと掛け合うその声色が日によって違うことに気付くくらいには。
逆を言えば、それくらいの違いしか分からない程度の日常的な会話を交わす仲だった。
(呼び名や年齢くらいしか知らなくても、ほとんどの時間を一緒に過ごせるのだ)

最初は朝起きて、洗面や着替えを済ませ、朝食を摂るときに挨拶をするだけだった。
それから、遠くの席で読書をしている姿を見かけることが増えた。
ちょっと勇気を出して横一列に椅子が並ぶホールで1つ、2つ席を空けて座った。そして、それぞれの読書をするようになった。
日にちが経つと空いていた席にお互いの読んでいる本を置いて、少しずつ読んでいる本の話をするようになった。
ご飯の後に読書をしていると眠くなることが多く、看護師さんに起こされるまで同じような姿勢でいつの間にか眠ってしまっていることもあった。
話し足りず、9時消灯の病院で睡眠薬が効くまでの30分から1時間の間、電気の消えたホールで暖かいスープを飲みながら話をするようになった。

ある日、彼は「話があるんだ」とわたしに耳打ちした。
彼は筆談を申し出た。それは「自分の話を誰かに聴かれている」という状態に彼が悩まされていたからだった。
私たちは人の出入りの少ない公衆電話の近くの二人掛けのソファーに横並びに座り、そうっとやり取りをした。
そのとき初めて、わたしは彼が入院した経緯を想像することができるようになった。
彼は自分が抱いている感情や気持ち、どんなことが自分の身に起きているのかを時間をかけて文字にしていった。
数行書いて、疲れたから部屋で休むねと言われたこともあった。
わたしは最初は戸惑いながら、けれど相談の回数を重ねるうちに、自然と彼の話を受け止められるようになった。
話すときの一人称が僕なのに、文字の中では俺になることに違和感を覚えないくらいには。
辻褄の合わない非現実的な彼の話に頷きながら、どうしたらいいのか思いあぐねていた。
仲のいい看護師さんにそっと相談したこともあったが、薬の効果が出てきて落ち着くまではあまり刺激しないようにと注意されただけだった。
でも、わたしのノートに吐き出されたのは彼の現実であり、本当のことだった。

彼に出会う数年前、わたしは断薬による極度の睡眠不足で妄想の世界に落ちたことがある。
どうやら人は眠っていても、起きていても、夢を見るものらしい。
ざっくりいうと、自分の部屋の扉を開けると目の前には外科医がいて、わたしを殺そうとしているという、長い長い夢だった。
わたしは部屋の外どころか、ベッドから出られなくなり、グルである(本当は食事や排泄したものをお世話してくれていただけの)看護師さんに暴言を吐き散らし、数日を過ごした。
夜か朝かも分からない。どれくらいの時間が経っているのかも分からない。ただ、ここは病院で、扉の前には自分を殺そうとする医者がいる。部屋の外からは叫び声やお経が聴こえた。
ひどい精神状態だったけれど、その世界から抜け出せたのは「投薬のおかげ」ではなかった。
もう体力も気力も限界だったのだろうわたしは、こんな恐怖に怯えるくらいなら死んだほうがマシだとおそるおそる病室のドアを開けることになる。
きっかけは「自分だったら置かない場所にコップが置いてあること」に”気付いた”からだった。
あれ、何かがおかしいという些細な異変にわたしは気付き、そして死んでもいいと腹を括ってドアを開けると、みんなが穏やかに過ごす昼過ぎのいつもの病棟だった。

<現実世界>と<もう一つの世界>
どちらの世界で生きていても、自分が生きられるならどちらでもいいと思う。
それにどっちにしろ、私たちはそれぞれの幻想を生きている。
わたしの場合は長居できなかっただけのことだった。

おもしろいのは、”気付いた”ことだった。
あの感覚を”気付く”という言葉以外に変換することができない。
あれだけ強烈な気付きは後にも先にもそれっきりだけれど、
あれはもしかしたら本当に生きている瞬間の出来事だったのかもしれないなと思う。

下の名前以外の何も知らないうちに、薬の効果も出ないうちに、彼の家族は彼を迎えにきた。
彼もこんなところから早く出たいとよく言っていたので、面会のときに家族にそう訴えていたのだろうなと思う。
わたしは心配をしていた。
彼はこちら側の現実ではないところにいたからだった。
そのときはどうにかして彼が見ている夢から覚めないかといろいろな方法を考えた。
わたしは彼のことを好きだった。
同じ世界で生きていてほしい、ただの傲慢だった。

「そしてやっと気付く。わたしは彼の夢の中の登場人物だということに」

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