5月21日、サヨナラCOLOR
写真と言葉のブログを11年続けてきました。
でも、一旦ここを離れようと思っています。
11年、長かったのかな。
ここに来てくれたあなたへ。
本当に、本当に、ありがとう。
長い間「つよいよわさ」を曝け出して、
見せびらかして、生きてきたように思います。
それと同程度の「よわいつよさ」を
育ててきたようにも、思います。
わたしにとっての自分を守るという言葉は、
自分自身の殻に閉じこもって遠ざけることと
同義だったように今となっては思います。
僕のマリさんの「まばゆい」という本の背表紙に
「わたしにとって書くこととは、自分を救うことだった」とありました。
わたしもこの11年という時間の中で、
自分のために書いてきました。
死なないために必要なことでした。
生きるために必要なことでした。
歩いてきたからわかることです。
すべてわたしの物語。
でも、「わたしにとって書くこととは、自分を救うことだった」と言い切れるのかな。
頭の上に疑問符が浮かぶと同時に、
好きな人たちの顔が浮かびました。
自分以外のなにも見えていなかった時間が長く続きました。
わたし自身を救ってきた、
わたしにとっての「本当のこと」は、
誰かを傷つけてきました。
ーーそれは実は自分を傷つけることでもあったのですが、
それでも、わたしは、書くことも、撮ることも、やめられなかった。(泣きながら、ペンを、カメラを、割る夢を見て、それでも続けてこられたのはこれだけでした)実際に大切な人たちを傷つけてしまう場面には幾度も出会ったし、それで離れていってしまった人の顔も浮かびます。もう、ごめんなさいも言えない。
わたしにカッターをあてた昔の恋人が、
血のついたカッターを、目を赤くしながら
わたしに見せたことを思い出しました。
そのとき不思議と「痛い」とは思わなかった。
ああ、あなたは痛いのかと思った。
自分を「傷つけられた」と思わなかったその鈍感さで、ずっと人を傷つけてきたのではないかと思うと泣きそうになります。
家族や友達、恋人を傷つけながら、
書くことも、撮ることもやめられなかったのは、
ただ、わたしの痛みをその人たちに知って欲しかったから。
痛いね、つらいね、とやさしく抱きしめて欲しかったから。
どんなあなたでもいいよと認められたかったから。
「いつまでもこのままじゃ、いられないんだよ」
「いつまでこのままなんだろう、わたし」
何度も、何度も、あなたや自分の声が肩を揺するのに。
ライフストーリーは何度も崩れました。
時間ばかりがあって、
わたしはよく考えるようになりました。
生きることも、死ぬことも。
健やかであることも、病むことも。
自分のことも、あなたのことも。
そうやってわたしはいつの間にか、
何も言えなくなってしまった。
自分にとっての正しさを信じるのは簡単だけれど、その正義があなたを叩いてきたことを知っている。
叩かれたあなたはどう思ったんだろうって、
今はもう尋ねることも叶わない。
そっと離れていったあなただって、
きっと思い出したりしたくないだろう。
それでずっと自分に問うている。
それがわたしなりの誠実だと思うから。
「やさしいね」と言われることは増えました。
でもこれはやさしさなんかじゃない。
やってきたことの償いでもない。
わたしはこわくなっちゃっただけ。
このこわさも否が応でも進む毎日の中でいつかはまあるくなるのかな。
それでも「つよいよわさ」がなかったら
今のわたしではない。
ここまで連れてきてくれてありがとう。
支えてきてくれてありがとう。
でも、行くね。
どうか自由に歩いて、愛して。
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