9月2日、忘れられない日々となって

最近、夜眠るのは遅くても21時くらい。
晩ごはんを食べて1〜2時間もすれば、起きていると駄々をこねても、あっさり寝かしつけられる。わたしが寝ていても起きていても、やることは変わらないけれど、寝てるなあ、と思いながらひとりの時間を過ごすのが好きだそうだ。そんな時間に眠るものだから、わたしは真夜中に目を覚まして、こうやってキーボードを叩く。何かあるわけではないけれど、書く。技術と呼べるほどのものはないにせよ、偶然に出会うためには技術が最低限なのだと、ばななさんが書いていた。

ころんだ瞬間が遠くなる。
毎日、毎日、ただ安心して眠りにつく。
起きても、恋人の寝息がきこえる。
胸に耳を寄せれば心音、呼吸で上下するあたたかな身体。

真夜中は静かだ。
冷房の風の音と、冷蔵庫のぶうんという音、それから寝息。真昼、賑やかな小鳥たちも眠っていて悠々と自分の時間を楽しむのはウーパールーパーのぱあちゃんくらいだ。照明はミルクブッシュのウパウパを照らす光だけで、たしかにこの空間やら時間はいいなと思う。明け方4時。外は雨降りで、冷房を切ることがなかった6月から8月。初夏か晩夏。そして今、窓を開け放って9月の音を知る。

庇いながら歩いてきたはずの傷がもう痛くなかった。
立ち寄った痛み、苦しさの日々が今あるさいわいでぼやけていく。
なかったようにではない。
なつかしくってそれがまた痛かったりするのだけれど
だんだん、と丈夫になってゆく。

起きたら話そうと思うことが、いつも何も言えない。
あやしてくれる、寝かしつけてくれる、笑かしてくれる、そんな恋人のやさしさにきゅんとなるのは幼い頃過ごしたであろうあたたかな守られている日々を、またもらっているからかもしれない。わたしは恋人になにを渡せているのだろう。寝返りのときの布団の擦れる音。鈴虫。雨。まっすぐに通り過ぎる車。

「さあいまおどるいのちをきみのためにつかおう」
うれしくなる、かなしくなる、せつなくなる、なさけなくなる、どんな気持ちも云うことはできないけれど、いつまでも真新しく笑っていたい。





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