8月16日、たったひとさじの日々
カメラアプリで動画を撮ることにハマっている。
8mmビデオカメラ風。でもiphoneで撮っている。
よくできたものでフレームレートなんてものも設定できるので、
数値を低くすれば解像度の低いカクカクの動画も撮れる。
フレームの種類やフィルター、穿孔なんてものもも選べたりして、うおお、と唸った。
8mmビデオを撮るための機材やテープ、再生するためのデッキなんかが現行であるのかは知らないが、
あったとしても、管理やら維持やらとても大変だろう。
ノスタルジックな映像をぼんやりと見ていると泣きそうになる。
ああ、そうだそうだ、フィルムで写真を始めたときもそうだった。
楽しいと寂しいが混ざり合う。でもシャッターを切る。
すべて、残像なのだということがわかったのだった。
生きているのものは過ぎ去っていく。
当たり前だって笑われるかもしれないね。
カメラやiphoneを介さなくても、そんなの誰だって知ってる。
でも、小さなころ寝転がってテレビを見ているお母さんをみてなんでいつか死んじゃうのにテレビなんて見てられるんだよ、お母さん!!と思ったわたしの気持ちにこういうことだったんだよって言ってあげられることができるようになった。そんなコマ送りを続けてきたから、今だって泣きそうになる。
数年前だったかな、「あなたやわたしの走馬灯が永く続きますように。いつか持っていけるのはそれだけだからね」とブログに書いたことを思い出す。荒い画質風な、ノスタルジック風味な、ふいに使ってみたアプリに泣かされそうになるとは思ってもみなかった。死ぬまで生きるんだから、それで泣いてもいいから、たまにぎゅって抱きしめたりできるようにしておこうね。
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