8月1日、まなざし

何かあるから書くわけではない。
わたしは石を磨いているだけ。

あかるい陽の熱で脚があたたまる。
まるまった体を少し伸ばしてうーん、と声にもなっていない唸り声をあげ目を擦りながら体を起こす。
眠るときに被せている薄手の毛布を取ってやると小鳥は羽根をキュッと持ち上げて小さな声で挨拶をする。
夜は眠ること。朝は起きること。まだ飛べなくても羽ばたいてみること。言葉を覚えたら練習をすること。大好きな水浴びは盛大に、大胆に、一生懸命やること。小鳥からいろいろなことを教わる。
「おはよう」
そう言ってわたしの1日が始まる。

深夜は、静かだった。
冷蔵庫のぶうんという音だけが鳴っていた。そこにもたれかかる。あたたかいのだ。無機質な抱擁に甘える。
たまには耳をすまさないといけない。ここは少なくとも天国ではないのだし。
ここが天国ならわたしは自分で花を植えたりしなかっただろう。
夏の夜の床は生ぬるい。爪先は冷えている。小指だけ色が禿げている。塗り直すのは明日にしようと決めた。

思い出にそっと立ち寄ることってぬるい。
あなたのやさしさは苦しかったし、あなたのことがいまだに痛いままだし。
目の前にあなたがもう現れることがなくても、生きていくことの手がかりをもらったのだし。
ため息をついているのか、煙を吐いているのか、そんなことは考えなくてもよくって、あなたの知らないひとりぽっちの部屋の中で、一緒に星座をつくる約束をしたあの真夏の夜の桟橋に寝転がる。

瞼を閉じる。

目を開けてキッチンを眺める。わたしはキッチンが好きである。まいにち、まいにち、ごはんを作るから。使い込まれたこの場所の汚れは真っ当だと思う。やりなおしたいことを想う時間すら与えられない。本当に楽しいことを、この場所は教えてくれた。夜中に睡眠薬を飲んでからふらふらしながらごはんを作るのも、朝起きてとりあえずコーヒーを淹れて煙草を吸うのも、昼間からごはんを作りながらお酒を飲んで酔っ払うのも、恋人がいるときにちょっと一人になりたいときも、クーラーの効きすぎた肌寒い部屋から逃げ出したいときも。

いつか、ひとりぽっちとひとりぽっちになるために、
出会って、時間を分け合って、シンクで砂抜きされるアサリだったんでしょう。

もう二度と会うことなどなかったとしても
あなたはわたしの季語だった。
わたしはあなたの鼻歌だった。
だから何度でも、何度でも、出会えると信じている。
メロディを忘れてしまっても口ずさんでね。
星座なら上手に見つけられるようになった。

いつかぴかぴかになった石をあげる。




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