1月31日、きっとね!

つい先日、「正しいことを言うから振られてしまう」男の子と食事に行った。

彼が選んだレストランは彼のお気に入りのイタリアンだった。
きれいな魚たちが水槽で泳いでいる薄暗いレストランを予約していてくれた。
わたしがメニューからすきな飲み物と食べ物を選ぶと、彼は店員さんにそれを伝えた。
ご飯を取り分けたり、わたしの飲み物がなくなると何を飲むか聞いてくれた。
道を歩くときは道路側を歩き、帰り際には最寄りの駅まで送ろうかと言ってくれた。
毎朝、おはようと仕事に行ってくると連絡が入っていて、
仕事が終わったり、わたしが寝る前にはおやすみのLINEがきた。

模範解答のような男の子。
モテる男の子とはこういう子なのだろうなとぼんやり思ったが、
初めて話した時からわたしはなぜか彼のことをつまらないと思っていた。

旅行や外食が好きだと言う彼から出てくる話は
ディズニーやユニバで元カノにした盛大な(お金をかけた)サプライズの話や、
うまくエスコートするために自分はクタクタになったという話だったし、
高級なレストランで受けられるリッチなサービスの話ばかりだった。

わたしはディズニーでサプライズをした時の元カノの表情や彼自身がどんな風に楽しかったのかの思い出話を聞きたかったし、高級なレストランで食べるご飯のどんなところに感動したのか、店員さんのどんな接客に気持ちが良くなるかを知りたかったのだけれど、そういったことは彼の興味の範疇外であるらしかった。

おそらく、マメで相手に満足してもらうことが彼にとって大切なのだろうなと思ったのだけれど、食事に行ったその日、彼がピクリとも笑わなかったことだけが心に残った。

帰ってから、今日楽しかった?と聞くと、楽しかったよと返ってきたが、
何が楽しかったのかこちらからはわからない。
そして彼の「正しいことを言って振られた」エピソードを聞くことはなかったけれど、
「正しいことを言われたから彼のことを振ってしまった」元カノたちの気持ちはわかるような気がした。
とてもまっとうなことを言う人がいた。
今とはなっては大昔の恋人のことだ。
何かあるとピアスを開けたいとか、腕を切りたいとかいうわたしに、
その人はいつも真面目な顔をしてやめときなよと言った。
わたしの癖を彼はよく知っていた。
やめときなさいと言われるとわたしはつまらないと喚きながら、不機嫌にそれを聞き入れることが多かった。
好きだからとか嫌われるのが怖かったからそうしたわけではない。
むしろ「この人はわたしに背を向けることなどしない人だ」と思ったからそうしたのだった。
実際にはピアスを開けても腕を切っても彼は迷惑そうにも心配そうにもしなかった。
ただ、いつまでもそんな風にはしていられないんだよ、と言っていた。
それすらもつまらなかったけれど、わたしの腕を消毒して絆創膏をぺたぺた貼ったりする彼の表情や行動から、わたしのことを想う彼の気持ちを感じていた。


正しいことを言われて受け入れられる時と受け入れられない時が、わたしにはある。
それはその人から相手を思いやる気持ちとか、優しさとか、
一緒にそれを受け入れてくれるのだろうなという姿勢が伝わってくるかどうかで変わる気がする。

わたしは自分が信じていることや正しいと思っていることを言うとき、
相手に暴力を振るっているような気持ちになる。
だからそのとき、わたしは今この人に対してやさしいか?と問う。
相手を否定したり、自分の思うままにしようとしたり、ただ言葉通りの正しさを振りかざしていないかを。

夜中にパスタを食べるのは太るし体に良くない。
そんなこと自分が一番わかってる。
でもそれを食べてしまう夜があるのだ。
そんなとりとめもないことを本当は話したいのだ。

あなたの言うことは正しいよ、わかってる。
でもこう思うんだとかこうしたいんだとかそういう気持ち。
それをただ、聞いて欲しい時がある。
おそらく誰だって真っ当な言葉で殴られたいわけじゃない。
「そうしなきゃいけない」その時に。
そこに愛があるかどうかだとわたしはおもっている。





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