12月16日、ラブソング

師走の風が冷たいと感じるのは朝夕どちらも暗い時間だ。
今日は木曜日。夜から雨の予報。母親と妹は眠っていて、しんと静かなリビング。

ぬくいお茶を入れて最近になっては珍しくパソコンの文字列の上を散歩している。
ブログをあまり書かなくなったのは、なんでだろう
日々、泣いたり笑ったりくるくると表情を変えている。思うことも気づくこともある。
それは別に特別なことではなくて、日常の些細な揺れ。
でも、花を買って洗濯機を3回まわしていても、めまいを起こしてよそみできないでいることがある。

「何を撮っているんですか?」への答えがわからないままでいるけれど、その返答に毎回けっこう真面目に悩んでしまう自分が好きだ。「わたしの神さま」なんて答えた日にはキョトンとされる。「人」とか「風景」って返すものなのかもしれないけれど、別にそれでもいいんだけれど、そんなに極端なところにわたしはいないんだし、たとえばそのどちらを撮っていたとしても、想いはもうちょっとだけその先にあるんだし。
なんというか、これだけ日常の中に写真があると、何を撮るかというと琴線に触れたものになる。
(もちろん撮るためにどこかにわざわざ出かけることもあるけれど、そういう時にだって気づくことはたくさんある。)
当たり前のように写真が在る毎日の中で、それを突き抜けていくものがあったときに撮ることができたら今でも感動する。でもそれは決して、日常とかけ離れているものではない。その何かを具体的に伝えられる術を持ち合わせていないけれど、常に探してはいる。そのように求めないと与えられないと思うから。
撮っているのか、撮らされているのか、撮らせていただいているのか、わからないけれど
わずかでも、熱や色を帯びるそれは、いつかのわたし/あなたを救う話し言葉になるかもしれない。

そういえば夏頃、毎日書いていた日記アプリのメモが好きだなと思った。
「こういうものはこころで食べるもんなんだよ。わかったか。」なんて書いてある。

でもいいなと思ったのはこれ。

「これからはこれまでのことは一旦置いて、着たい服を着て生きていこうと思う」



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