1月11日、coma white

 
 
わたしはとても痛がりだった。
あの人は痛がりじゃなかった。
 
 
高校1年生の春、はじめてピアスを開けた。
それがきっかけとなってあけはじめたピアスは、耳に留まらず、顔や体中に気が付けば数十個。
いちいち数を数えるのが面倒くさくなるほど、把握できないほどになった。
自分じゃない誰かにあけてもらったのは最初の1度だけ。
その人の前でわたしはひどく緊張していて、「ちょっと待って」と何度も何度も口にした。
それからはとらわれたように鎖骨の下も、口元も、眉も、首も、手首も、全部自分でやった。
 
その時も、今も、穴のあいた体やその跡を求められてもないのに見せてしまう。
いろいろな視線を目の当たりにしてきた。
そして、いつしかこれは悪い癖なんだと気づく。
 
 
ピアスをあけることを「痛い」と思ったことはあまりない。
厳密に言うと、「思ったよりも」痛いと感じることはなかったという方が近いのかもしれない。
体に針を貫通させるのだから、もちろん痛みがないわけじゃないけれど、わたしはそれが純粋にすきだった。
心が悲鳴をあげていている時、むしろその痛みを連れ去ってくれるこの行為がすきだった。
どっかの部族が大人になるためにやる通過儀礼みたいに、必要なことなのだと信じていた。
強がりながら目に見える弱さをひけらかしていた。
 
いつも、なるべく太めのニードルを好んで使った。
細いニードルの文字通りの刺すような鋭い痛みよりも、太いそれの少しばかり鈍感な重い痛みがすきだった。
1度に5個とか10個とか、そんな風にピアスホールが増える日もあった。
お酒の量がどんどん増えてくみたいに、わたしは物足りなさを感じるようになっていった。
 
誰かに「あけるとき痛くないの?」って聞かれたら「痛くないよ」って答えるようにしている。
言うまでもなくそれは、配慮や遠慮なんかの類ではない。
「わたしの『痛くないよ』にはいつも、(思ったよりも)という言葉がこっそり前置きされている」だなんて
実際に、痛みよりも安堵や達成感に似た感情の方が勝るわたしには、どうでもいいことだからだ。
それを聞かされる誰かには、きっと、もっと、どうでもいいことだろう。
 
わたしはたぶん、
「痛がり」だからそれを知っている。
自分のことを、幾らかだけそれに敏感で、どこからが痛いのか、どこがボーダーなのかを知りたいただの怖がりだと思う。
快楽と分けられないほどに親しいのは深く関わり過ぎたからで、
それを「愛している」と、今だってわたしは親しみを込めて口にできる。
身体に残る穴や跡が今でもいつも、とても、いとおしい。
 
 
いろいろなことは痛いことだった。
わたしにとってそれは「与えられる」ものだった。
その人はわたしに、痛いことをたくさんした。
わけもわからず、でも愛おしかった。何をされても許すことができた。
 
未熟でやわらかな、寄る辺ないわたしたちが過ごした魔法のような季節は思いのほか長く続いた。
吐くほど泣いたりしたことも数えきれないほどあったけれど、息が詰まるほどの幸福はそれ以上だった。
 
そしてその人は、わたしに痛いことをたくさんした。
痣だらけの腕。切り傷だらけの背中や肩。涙の跡。
わかりたいと思っていたけれど、わからなかった。
わかったつもりでいたけれど、わからなかった。
全然、わからなかった。
だからわたしはいつも、縁日ですくわれた薄い透明のビニール越しに
口をパクパクさせてる息苦しい金魚みたいな惨めな気持ちがしていた。
最後には袋ごと木の枝に吊るされて、その人はわたしのことなんて忘れてどこかへ行ってしまうだろうと思っていた。
 
 
その人は一体何をたしかめていたのだろう。
その人は本当はどこにいきたかったのだろう。
 
嫌になるほど、やみつきになるほど、与えられるばかりだった。
ちっぽけな狂気の渦の中で、その人の見えない真ん中が
キシキシと音を立てて締め上げられていくことに本当は気がついていた。
 
 
 
わたしはとても痛がりだった。
その人だって、きっとそうだった。
 
 
痛かったことが痛くなくなってまた痛くなったから、
むかしはひどく痛がりだったことを思い出す。
また今年もあの人の命日が過ぎてった。
 
 
どんどん思い出せなくなってくことや
誰にとってもどうだっていいことを
饒舌に書き連ねたわたしに、わたしは最後の悪態をつく。
数えきれない「もうやめよう」は、今夜が最後になればいいと、悪い癖にとどめを刺す。
 

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