1月24日、AME
ほんとうにやさしいということがわからなくて、手も足も出ないことが続く。
続いているというより、多分、本当はそのことについて長い間ずっと考え続けているのだと思う。
先日、もう死んでしまいたい、本当は生きていたいのに、もう頑張れそうにないです、と言った女の子に何も言えなかった。
彼女はわたしだった。自分もそうだったこと。今もそれがちらつくことがあること。だから、何も言えない。どんなことがつらいとか、こんなことが耐えられないとか、そんな次元の話でないことだけがわかっていて、だってそれはどかせなくなった雪だから。溶けることのない、永久凍土。口の端を噛みながら、ゆっくりと瞬きをしながら、ただただ頷くしかできなかった。自分の経験なんて役に立ちそうになかった。わたしがなんとか持ち堪えたことと、彼女のしんどさは別のものだから。なんにも浮かばなかった。時間を信じようなんていえない。生きてればいいこともあるよなんて言えない。そんなもの見つけられたらラッキー。一瞬、あ、と思うだけの流れ星のようなものだろ。呆然としていた。コーヒーは冷めてゆく。
リップクリームだ。
そう思った。
「ちょっと買い物に付き合って」
そう言って、冷めたコーヒーを飲み干して外に出た。
難波のジュンク堂で働いていたころ、わたしはひどい状態だった。もうずいぶんと昔の話だ。
毎朝のようにメンタルクリニックに泣きながら通い、点滴を受け、電車に吸い込まれそうになったり、乗れたはいいもののパニックの発作が出たりしていて、仕事も仕事にならず、早退したり遅刻したり。それはよくなる気配がなく、どんどんひどくなっていった。徐々に減っていくお給料と、かさんでいく医療費。それでも家族の前では今までの自分を保つことができていたし、友達と遊ぶこともできたし、職場でも笑顔でいられた。結局、メンタルクリニックから直接精神病院へと送られて、わたしは初めての入院を迎えることになる。自分がそこまでボロボロの状態だと思っていなかった。
泣きながら仕事にいこうとするわたしに友達がジュンク堂の階下にあるドラッグストアで買って渡してくれたのが、リップクリームだった。どうしようもない時や不安な時にこれを塗るといいよ。魔法をかけてもらった。これまで幾たびもかけてもらった大丈夫という言葉。響かなかった言葉。信じられなかった言葉。それでも、そのとき、わたしは、大丈夫になったのだった。そのとき、手に収まったリップクリームと友達の笑顔だけは信じられたような気がしたことを思い出していた。
もらったやり方でしか返し方もわからないくらい、何もできないままここまで来てしまったけれどわたしにそうしてくれた友達のように、魔法をかけるね、と言ってちょっと大袈裟に魔法をかけてみた。彼女はリップクリームを受け取ってくれた。別れ際にまたねと手を振りながら、祈った。彼女のことだけを考えて。そして、ありがとうとも思った。かつてわたしにそうしてくれた友達に。
あったかい思い出はあったかいままだ。
魔法瓶に入れておかなくとも。
今でもわたしはそのことを思い出してリップクリームを塗ることがある。
どうしようもなくつらいときや、やさしさについて考えてみるときに。
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