9月18日、モメント

ぐずぐずの感情を持て余していた。
わたしはさいきんよく泣いている。
涙は人に見られて初めて涙になるの
って歌ってたのはチャットモンチーだけれど、
そうだとしたらわたしはひとりで
今までずっと何をしていたんだろうね。

台風が過ぎた日の風は強くて、顔に張り付く髪はまだ少し汗の匂いがして、秋とも夏とも言えないただ、生きていさえすればどこにでも辿り着くであろう日を生きているのだと思った。風が吹いて泣いて、清潔な小鳥の声に泣いて、恋人の眠っている姿を見て泣いて、優しい音楽を聴いて泣いて、ただ暮らしが眩しくって、黙ってしまうような毎日だったから。なんで泣いてるのかなんてわかんなくて、だから、うまく言えなくて、だから、ぜんぶ季節のせいにしたい日だった。

思い切り後ろ髪を引っ張られながら、それでも外に飛び出して、写真を撮りながら夕暮れの住宅街とシャッター街を抜けて、電車に乗って、それからよく歩いた。少し声を上げて泣いたら身も心もすっきりとして、もう大丈夫だと思った。「大丈夫」なんて言葉を使わないのが本当の大丈夫なのだとしても、自信を持ってわたしだけの道をいく。
この1ヶ月と半分くらいの写真を手のひらにおさまる大きさにプリントした。その89枚はこの暮らしの断片。わたしと恋人が生きている間だけ輝く薄緑の宝石。画面越しにみるのではない、その宝石をカフェのテーブルに広げてみたら、日々が愛おしくて仕方がなくて、また、泣いた。コーヒーは冷めていて、涙は熱かった。あの夏の日に水族館でひとり抱きしめた自分の体や、寒かった江ノ島駅のホームの光溜まりを思い出した。やり方は下手くそかもしれないけれど、わたしはわたしの手で地続きの今日をちゃんと宝物にしてきたんだった。続けるを続けていく、ただそれだけの営みに、こんなにこころを揺さぶられるのは、わたしもここにいるから。実はひとりぼっちではなかったのだと思ったり、忘れたり、また思い出したりするけれど、世界やそれを見ているわたし自身も、どんな多面体なのか知ることはないけれど、暮らしを突き抜けていく何かを、何度でも見れますようにと、かみさまに祈った。

そして、きみの愛してるが聴こえてくる。
その愛してるは地球をまるまる包む大きさで、
わたしのとびとびの記憶や人生に染みてくる。

きみの孤独を想像してもわたしにはそれが分からない。
わたしの孤独を知ってもきみにはそれが分からない。
でも大丈夫。
きみ自身がきみを置く場所だから。
わたし自身がわたしを置く場所だから。
だからこそ、交わし合う何かに価値があると思う。
わたしに向かって発した言葉が、どうかきみにも優しく還っていきますようにと願う。

もう100回も見ることの叶わないめくるめく季節をできればあなたと見てみたい。
生きている間に大切なあなたに、あなたが大切ですと伝えたい。
できれば何度だって。
できればいろんなやり方で。
できればその手をとれる距離で。

おやすみのキスがしたい。だから、眠ろう。
どこに辿り着いてもいい。ただ、あなたがいることがうれしい。






0コメント

  • 1000 / 1000