4月15日、まえがき
いくつになったの
41になったよ。
少し暑いくらいの春の日、京都駅は賑わっていた。お昼にカレーを食べに行こうと言いながら朝ごはんを食べていなかったのでおいしいパンをほうばり、わたしは冷たいもの、彼は温かいものを飲んでいた。お店調べてくるね、と先に立ち上がる彼をささっと追いかけて顔を覗き込む。げげ、定休日だわ。
はじめて会ったのは夜の荻窪。おいしいカレー屋さんに連れて行ってあげようと言われ着いて行くと定休日だった。あらあらと言いながら小伝馬町の定食屋さんでごはんを食べた。わたしだけが自家製のサングリアを飲んだ。その店のミートボールがこの世のものかと思えないくらいおいしかった。はじめて目があったのはこの時で 2人してそのおいしさに目をまあるくした。途中の歩道橋、彼の背中を押してのぼった。ピンクの髪の毛とたくさんのピアスを揺らしてずっと笑っていた。わたしは18歳だった。
その次は馬喰町。夕方、知らないビルの屋上にのぼって夕焼けを見た。あの夕焼けの色は思い出せないけど彼が長い髪をばっさりと切ったことはよく覚えてる。
次の記憶は 夜の九段下。たぶん季節は冬だったはず。彼の髪もわたしの髪もすこし伸びていたから。わたしも彼も久しぶりに会えたことが嬉しくてホームでおもっきりハグをした。その時のことで覚えてるのは、帰り道 駅のホームで ちよこれいと!ぱいなつぷる!って あの遊びをしたこと。
熱海に行ったのは22さいのときだった。1泊2日の電車旅。目の前がビーチの素敵なホテルに着いてすぐに海にあそびにいった。夜は一緒にお風呂に入り、長くて暗い韓国映画を観た。次の日行ったクレマチスの丘は着いてみたらやっぱり定休日だった。仕方がないから行ったほこりっぽい匂いのする美術館ではしゃぎ、たくさん写真を撮った。
彼と別れるときは小さい頃の朝、保育園に行く前に大好きなぬいぐるみとお別れをするときに似ていた。毎日、毎日、別れとかその惜しさを経験していた。2度と会えないかもしれないな、というようなこと。灰色の予感。ほんとはこの世の誰もが、わたしも含めてその可能性を孕んでるのだけど 彼のあの佇まいや立ち振る舞いや空気の吸い方や視線のうつろい方をみてるとほとんど泣き出しそうになってしまう。
けれどわたしは彼のまえで泣いたことはない。いつでも泣き出しそうなのに泣いたことはない。それは彼がわたしの前で泣いたことがあるからなのだと思う。しっかり見たわけじゃないから本当に泣いていたかはわからないけど。わたしの後ろに立ちながら、彼はたしかに涙の気配を背負ってた。
誰が見てなくても夕焼けが美しいことなんて忘れていた。彼の手指がわたしのために存在していないことがきれいだった。いつも会いたいとか帰りたくないと言うのはわたしだった。さみしいねと言いあえる夜がくるなんて思ってなかった。
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